Story 

(小説)

はちみつのにおい 第五話

はちみつ挿絵

∮ 幸せのカタチ ∮

 今日の空はほのかに薄く透き通っていた。

 私はちょっと遠回りをして、あえて歩いて帰ることにした。
 にんじんと玉葱、あと牛乳にエリンギの入ったスーパーの袋が私の足並みに合わせてカサカサと音を立てていた。

 昨日の私は、一体どうしたのだろう。
 ぼうっと考えながら私はいつもの坂道を下り、河川敷沿いに歩いた。つい一ヶ月前まで花を咲かせていた桜の木は、新緑が西日を浴びてつるんと透き通ってみえる。

 ああ、新しい証拠だ。

 私はふと自分の手を陽にかざして見た。西日の赤と河川敷の緑で私の手は少しくすんで見えた。だけど手のふちにはかすかに赤く透き通っているものがきらきらしていた。

「透き通っている。」

 声に出してつぶやいてみた。
 和麻の瞳を思い出した。

 

 


 昨日はあの後、とりあえずすぐ寝ることにした。しんちゃんには、「そばにいて」とお願いした。
しんちゃんは私が寝付くまで、手を握ってくれるといった。
 確かに昨日は、しんちゃんのあたたかな感触が傍にあった。

「しんちゃん。」

「ん?」

ふと、和麻の顔が浮かんだ。和麻はどうやらこの部屋にはいないみたいだ。
きっとしんちゃんの部屋で寝ているのだろう。
私はベッドに仰向けで目を閉じている。しんちゃんが私の顔を覗き込む気配を感じた。
それは幼い頃、母親が眠っている私にきまってやわらかい毛布をかけてくれる仕草のようにとても優しく、儚かった。

「私、和麻のこと・・・。」

「うん。」

「好きだよ。」

「・・・うん、知っているよ。」

「しんちゃん。」

「ん。」

「好きだよ。」

 しんちゃんは困った顔をしていたのだろうか?
 ううん、微笑んでいた、と思う。
 そのあと、軽く短く私のおでこに触れたその感触がしばらく私の心に響いた。あたたかく、甘く、泣きたくなるくらい胸が締め付けられ、そして解けた。

 いつものしんちゃんが傍にいる。
 その温もりが私に穏やかな子守唄のように響く。

 さっきの夕食のことは、又いつか考えよう。
 そのときはそう思った。しんちゃんが私の手を優しく握った。
 私も握り返したのだろうか?

 私はいつの間にか眠っていた。

 

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その夜の夢はとても綺麗だった。

あの写真のコスモス畑の中に私はいた。
私はおそらく子供なのだろう。
私の背丈ではコスモスに埋もれてしまっている。
あまりに綺麗でわくわくしたので、私はコスモスの花をちぎり、頭にたくさんつけた。
いっぱいおめかしできた気がしたから、私は嬉しくなってくるくる踊った。
その後ろで母がクスッと笑った。
母のその笑い方をみて何だか恥ずかしくなって、頭からコスモスを少し取った。
母が私の手をとり、しばらく歩く。

母の隣には誰かいて母は楽しそうに話していた。
そして、一番綺麗な場所に来たとき、カメラが私に差し出されて、私はそのカメラで写真を撮るのだ。
母は私に写真の撮り方を教えてくれた。

「そうそう、その四角いのを覗くのよ。」

ファインダーの中はあの写真の風景だ。
時を切り取った「カシャッ」という音がして、私は目が覚めた。

はちみつ挿絵  

 

 

 河川敷の桜並木を抜け、私はぽつんぽつんと明かりが付き始めた住宅街を歩いた。夕食の柔らかなにおいがしてくる。
 お腹が少しクーとなった。
 私はいつもこの時間、この風景が好きだ。
 その明るい灯と、あたたかな香りは《幸せの形》だと思うから。
 私はなんとなく手で三角を作って覗き込む。おにぎりの形。これも幸せの形。私はよほどお腹がすいているんだなと思い、クスッと笑った。

 早く家にかえろう。

 各々の家からは、いろんな夕食の香りが漂ってくる。外が暗くなるのと同時に点々と灯る明かりは、私に帰る場所を教えてくれる。
 私たちは明るい場所にむかって歩いていけばいいのだ。

 私がおにぎり三角から覗いたその先に、曲がり角から現れた制服姿の和麻がみえた。

「あ。」

 声をかけよう、そう思い少し戸惑った。ちょっと深呼吸をする。

 和麻の後姿は、細く、真っ直ぐで、歩調にあわせて綺麗な黒髪が揺れていた。足取りはしっかりと、確実に私たちの場所に向かっていた。
 だけど今の私には、あの子がいつか風に流されて、消えてしまいそうだと思った。和麻の存在がとても透明でキラキラしていて、そして、とても不安定にみえた。
 彼女はどうして私たちの場所を見つけたのだろうか。

 そのときの私はもう気が付いていた。
 和麻は三人でいるときより、二人のときのほうが笑顔をみせる。私といる私の知っている和麻は、とても穏やかでとても自然だった。

 今の和麻の存在は、私の中のある部分を確実に占めている。
 その部分はかなり昔から用意されていたかのように、私の心の隙間にすんなりピタッと収まっている。まるで、昔作ったパズルの失くしたピースをタンスの下から見付けたような気持ちだ。

 タンタンと歩いている彼女をみて、少しずつ少しずつ染み渡る心の奥底の何かを私は感じた。見えない何かが確実に和麻と私を結び付けている。

 しんちゃんと、和麻と、私。
 今更ながら、二人の中に入ってきた和麻を不思議に思った。
 そして、なぜだか、とても愛しく感じた。

 心の音を慎重に聞いた。
 悪い音ではない、と思った。胸をそっと撫でてみる。 うん、大丈夫だ。


 夕日色のアスファルトにのびる和麻の長い影をみた。
 その影を追いかけるように私が和麻に声をかけようとしたとき、和麻はふと私に気付き、振り返った。

「・・・ミサさん。」

 私はビニール袋を軽く上に上げた。

「今日は私の当番だから。」

 和麻はちょっと戸惑った様子で私を見つめ、タッタッタッと私のそばに駆け寄ってきた。ここは坂道だから、和麻の目線が上に上がる。和麻は不安そうに私を見た。
 なにかを私に伝えたいのだろうけど、言葉にならないのか、口元がもごもごしている。ふとそばに来て、和麻は私の腕をにぎった。

「ごめんね。」

「・・・。」

「私、なにかミサさんに嫌な事したんじゃないかなって・・・。今日、ずっと考えてた。」

「・・・うん。」

 瞳に映る私をみた。ぼんやりと私は映っている。ああ、この子は私に愛情を持っているんだ、とそのとき思った。
 その瞬間、私の中の何かが解けてきているのを感じていた。

 いい風が吹いている。
 初夏を思わせるその風が、私の心をとても爽やかにした。
 和麻の顔をみた。あまりに不安そうな表情をしているので、私は反対におかしくなって思わず吹き出した。和麻はびっくりしてこっちを見ている。

 私は和麻から離れ、勢いよく坂道を登った。そして和麻を振り返った。高い場所から彼女を見下ろしたいと思ったのだ。
 だってここは側に小さな川があり、暖かくなる今の時期は綺麗な花が道端にたくさん咲くのだ。
 この東京では珍しく緑の多い、都会の片隅の静かな住宅街を私は心から愛している。

 やっぱり、と私はうなずく。
 この風景に和麻はとても綺麗に映った。私は嬉しくなって、笑って和麻においでおいでをした。和麻の表情も私の顔をみてほころんだ。

「和麻、気持ちいいよ。」

 私たちは二人で肩を並べて振り返った。
 対岸の町並みにもぽつんぽつんと明かりがつき始めている。

「ミサさん、・・・元気?」

 風にのって和麻の声が響き、私は和麻の肩に自分肩を寄せた。

「元気よ、とても。」

 和麻の横顔をみた。和麻は穏やかに笑っている。

「和麻。」

「ん?」

「私、あなたのこと、結構好きよ。」

 和麻は笑った。
 和麻はとても嬉しそうだった。

 心地のよい風に二人の髪がなびく。

 一瞬私は、このまま時が止まらないかと思った。


「はちみつのにおい」第五話 ~幸せのカタチ~

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