Short stories たんぽぽ音色」 「れもん」 「初夢」 「クリスマスの朝に見た夢
  
  □ たんぽぽ音色
Story
2005/2/13



  

  ぎゅっと握るその右手からは、優しい春風が吹いている。



蒲公英(たんぽぽ)は今年で17歳になる。
自分の名前も結構気に入っている。

蒲公英の祖父は昔から自分の孫には季節の花の名前をつけると決めていたらしい。だから、春に生まれた彼女には、蒲公英と名付けた。

今は三月で、あと何日かすれば桜も咲くだろう。
堤防の歩道の脇には、新しいつるつるとした草花が顔をだし、蒲公英を高揚させた。弾む足取りで、川の向こう岸を目指す。
今日は休日で、天気もよいから、きっと祐樹もあの場所にいるはずである。



 

蒲公英とその祖父の家は、歩いて5分ぐらいのところにあり、休日はいつも祖父の家に寄ることにしている。祖父は毎回、約束事のように100円玉とお菓子を手渡してくれる。幼い頃から変わらないその習慣がいつの間にか彼女の元気の源になっている。
祖父の笑顔がたまらなく眩しい。

「はい、蒲公英。いってらっしゃい。」

「じいちゃん、行ってきます。」

蒲公英はそれを握り締めて、いつものように近くの自販で飲み物を買って歩き出した。
今日はミルクティーを買った。そして小銭入れからもう100円を取出し、今度はビンに入ったソーダを買う。

蒲公英が祖父の家から川原に向かう道の途中にはここ数年でいくつもの空き地ができた。
殺風景になった国道沿いの道から見えるビルや家屋の側面は、急に立ち去った町並みに置いてきぼりをくらったかのように、ぽかんと間抜けな面をさらしている。
蒲公英はその表情がとてもおかしくてたまらない。
今日はそのことを祐樹に話そうと思っている。

 

対岸への橋を渡り終えると、土手の脇から緑道へと続く道の入口にちょっとした広場がある。
小さな滑り台と子豚の椅子の間、その陽が当たる場所に一風変わった柳の樹があった。祐樹はいつもそこに居る。

その柳は、幹がとても太く、背が低い。とても不恰好な柳だった。
そして、その太い幹の周りにはこんもりと細く伸びた枝が地面まで垂れ下がっていて、真ん中の幹が見えないほどすっぽりと芯を覆っていた。あまりに茂っているので、まるで「かまくら」のような形になっている。

その枝を掻き分け、蒲公英は祐樹を見つけた。

「あ、いた。」

「ああ。」

祐樹はちらりと蒲公英を見て、そっけなく返事をした。
何日か前に二人で作った特性ハンモックに寝転がり、ぼんやりとしていた。
細い枝がうまく編みこまれ、丁度よい具合にハンモックを支えていて、まるで祐樹は柳に抱えられているようにも見える。

「お前、また来たのか。」

「うん。駄目?」

祐樹はちょっと困ったような顔をして、「まあいいけど。」と目をそらした。


祐樹は川の反対側の隣町に住む男の子だ。
だけど、蒲公英は祐樹のことをずっと前から知っている。
蒲公英がまだランドセルを背負っているころから、お互い川を隔てて、一緒に通学していた。祐樹が走れば蒲公英も走り、祐樹が歩けば蒲公英も歩く。
祐樹はいつも大抵、蒲公英の少し先を行く。
そして橋の傍まで来たとき、お互い背をむけ反対側にそれぞれの学校に向かうのだ。

 


17歳になった蒲公英は初めて祐樹に声をかけた。

あの橋を渡ったら祐樹が見えたから、思わず呼び止めたのだ。
そのとき祐樹はヤナギの樹の下にしゃがんで、何かを摘んでいた。

「ねえ、何をしてるの?」

祐樹は振り返る。そして蒲公英の顔をじっと見て、微笑んだ。

「ハコベ、採ってる。」

「ハコベって?」

「十姉妹(ジュウシマツ)にやるんだよ。これ好物なんだ。」

見ると土手の草むらには鳥かごが置いてあり、そこには小さな小鳥がニ羽入っていた。
ピヨピヨと鳴く声は音色となり春の草原にぴったりと馴染んでいる。

「ねえ、私のこと知ってる?」

祐樹はちらりと蒲公英をみて目をそらす。

「ああ。」

「あなたの名前なんていうの。」

「祐樹。・・・あんたは?」

蒲公英は少し息を吸い込み吐き出す。
そして右手で左手の手首を強く握った。これは、蒲公英が自己紹介をするときの昔からの癖だ。

「あの、・・私は。」

といいかけ、蒲公英は祐樹の左手を見た。
そこには、黄緑色のハコベの葉に小さくちりばめられて咲く白い花。その真ん中に、黄色く光るたんぽぽが一輪混じっていた。蒲公英の心にすっと暖かい風が流れ込む。

「私の名前は、・・・蒲公英。」

蒲公英の右手はいつの間にか緩んでいた。

 


 


日に日に暖かくなっていく今の時期は、この河原も新しい命が芽吹き、きらきらと輝いている。蒲公英はあれから、よくこの柳の樹に遊びにいくようになった。

祐樹と一緒に作ったハンモックがけっこう寝心地がいいのと、その周りの草むらには今の時期はたくさんのたんぽぽが咲いているからだ。

祐樹が居るときはいつもより時間が早く過ぎた。
蒲公英自身はゆっくりしたくてわざわざこの場所に来ているというのに、どうしてこんなに時間が過ぎるのが早いのだろうと、夕焼けを見ながら一度それで不機嫌になった。

「どうしたの?」

「ううん。」

蒲公英はぶんぶんと頭を振った。そんな蒲公英を不思議そうに祐樹は見ていた。

「おまえといると、夕日が早いよな。」

そういって、蒲公英を見て微笑んだ。

毎年河川敷に黄色の花が点々と咲き出すこの時期は、蒲公英は少しずつ力をもらうような不思議な感覚を味わう。笑顔が一番多いのもこの時期だ。

日が暮れるまで二人は、柳の樹にもたれいろんな話をした。

 

 

しばらくして、桜の花も咲き始め、たんぽぽの黄色の花もちらほらと白く姿を変えるようになった。


「蒲公英はこの頃顔が変わったね。何かあったのかねぇ?」

じいちゃんが笑って言った。

昨日摘んできた春の草花は、林檎のマークのあるコップに活けられて、敷布団がなくなったコタツの上に置かれている。

「じいちゃん、またゆっくり話すよ。今日は急いでいるの!」

祖父からいつものようにお菓子をもらって蒲公英は走り出した。



自動車が蒲公英の横を通り過ぎ、その追い風とともに桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。
その中を走る蒲公英は春風に背中を押され、いつもより少し早く走れているように感じた。
焦る気持ちを抑え、蒲公英は柳の樹を目指した。
幾重にも重なる細い枝は、するすると音を立て蒲公英を招き入れる。


「祐樹・・・?」

幹に絡まるハンモックは風に乗って少しだけ揺れていた。
だけど、その中はすでに空だった。

蒲公英はその場にぺたんとしゃがみこんだ。
太い幹の根元には以前に買ってきたソーダの空き瓶があり、三分の二ぐらいまで水が入っていた。ビンの周りには少しの水滴が光っている。
祐樹はきっとさっきまでこの場所にいたのだろう。

 

今日、祐樹は東京に行くらしい。大学生になるのだ。

蒲公英は昨日その話をこの場所で祐樹から聞いた。
つんと胸を刺されたような感覚。それを表情に出すまいと蒲公英は口を横に結んだ。
穏やかな日差しを受けてきらきらと輝く黄緑色のかまくらは、二人を優しく包んでいる。
未来を話す祐樹の声には戸惑いはなく、希望に溢れ、その心の躍動感が蒲公英にも伝わってきた。蒲公英は一生懸命に祐樹を見てその話に耳を傾けていた。

脳裏には、ランドセル姿の二人がいた。

やっと近づいたのに、いつの間にかまた遠くなっていく。
赤と黒の色はパンッと音を立てて、弾けるようにまた反対側に背を向けて動いていった。

 


「もう・・・、いっちゃった。」


柳がさわさわと春の音を立てた。
足元には幾つもの黄色い花たちが、蒲公英を囲んでいる。
蒲公英はゆっくりと立ちあがり、柳の幹の傍にいきソーダの瓶を手に取った。

そこには、一輪、「たんぽぽの花」が挿してあった。
頬に一粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「たんぽぽ、・・・ありがとう。」


ぽつんと呟いた。
ちょっとだけ首をかしげるようにして咲くその花は、蒲公英に話しかけているようだ。蒲公英はその花と同じように首を少しかしげ、微笑んだ。
下から吹き上げる暖かい風にやわらかく柳がなびき、綿毛が蒲公英を包むように青い空に高く舞い上がった。
まるで、暖かな春風に音色をつけるように、綿毛は風にのって遠く流れていく。

蒲公英の気持ちもその風にのり舞い上がった。
  

  いつか私もあの綿毛のように飛び立つのだ。
  
  白くふわふわと、この花と同じように。

 
蒲公英は綿毛が舞うその中をくるくると舞った。
たんぽぽと一緒に舞った。

瓶に挿しているその花をとり、手のひらをゆっくり開き、また優しく閉じる。
そして、歩き出した。


  その右手からは、優しい春風が吹いていた。



                        end


「たんぽぽ音色」  




たんぽぽ音色  2005.3/17-22 「たんぽぽ音色」作品展用ショートストーリー
 (このストーリーは2005年の春の作品展用に書き下ろしたものです。)

K I N A 2005.2.13

 




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